神社参拝

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 神社参拝は、良俗の一つとなっている。明治神宮や靖国神社など、国家的な国民的な神社へ、祈誓のために参拝することは別として、町々村々にはそれぞれ、氏神や其他の神社があり、常に参拝の人がたえず、非常時に際して、支那事変に際して、参拝者は殊に多くなった。 氏神や其他の神社、云わば民衆的な神社へ、参拝してる人々の姿態、それは本来、清く明るく朗かであるべきことが、希望されるのである。なぜなら、それらの参拝は本来、感謝を主としたものであるだろうから。祭礼日の参拝は、生活の楽しみを感謝し且つ祈るものであり、七五三の参拝は、子供の生長を感謝し且つ祈るものであり、日常の参拝も、そういう線上に於てなさるるのである。つまり、将来への希望をこめた現在の感謝である。 然るに、近頃、数多い参拝者の姿態に、何かしら切迫した陰影、云わば必死に取縋ろうとしてるようなものが、目につく。戦地にある人々の武運長久を祈るのは、誰しも同じ思いであろうが、そういうことと違って、一層個人的な一層打算的なものの匂いがする。これは、生活があまりに窮迫してるせいであろうか、心情があまりに衰弱してるせいであろうか。それはとにかく、個人的な願用を主とした参拝は、これは良俗とは云えない。神社以外に於ても、種々の講中の威勢のよいお詣りなどは、見ても愉快なものであるが、御利益あらたかなお稲荷様への深夜の憂欝なお詣りなどは、世の中を明るくするものでは決してない。 態度は心意の如何によって決定される。感謝を主とした参拝の態度と、願用を主とした参拝の態度とは、おのずから異るものであって、後者の態度が近頃多く目につくということは、識者の一考再考を要する。殊に、態度が心意を決定する場合があるに於ては、猶更である。

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