婦人の洋装

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 婦人の洋装に、殊に若い婦人のそれに、一つの種類が近頃目立つようになってきた。 職場的洋装、というと変だが、例えば、バスの女車掌のそれ、デパートの女店員のそれ、喫茶店の女給のそれ、其他、個々のオフィス・ガールのそれなど、各職場の事務服としての洋装は、大抵、既にしっくりと彼女等の身についているし、必要なものでさえあり、少しも不自然ではない。女学校の制服と似たものである。 次に、個人的好みからの、そして行動の便宜からの、洋装がある。野球場や、映画館や、新劇の劇場や、用達しの急ぎ足の街頭などに、そういう簡素な洋装が見られる。これはまだ、前のものほどしっくり身についてはいないが、然しひどく不自然ではなく、そして幸なことには、若々しい元気が見えており、実務的行動の頼もしい匂いさえある。 さて、それらのもののなかに、それらのものが多くなってきた故でもあろうか、他の一種の洋装が目立つのである。一言で云えば、おしゃれのためのそれであり、流行の先端を切ったつもりらしいそれである。そしてこの種の洋装はまだ大抵、彼女等の体躯ではこなしきれないでいる。 女にとって、洋装は和装より簡単であろう。肌につけるものから順次に比較しても明かだし、和装の半襟や帯とその付属品一切の繁雑さを考えても明かである。けれども、この種の彼女等は、簡単なるがために洋装をしてるのではない。映画女優めいた丹念な顔の化粧、厄介なセットを要する毛髪のウェーヴ、時間のかかるマニキュア、そういうものを考え合せれば、洋装は一種のおしゃれであることが分る。日本髪の芸妓が少くなり、お座敷で雛妓が蓄音器に合せて流行小唄を踊り、カフェーやダンスホールが繁昌する時だから、おしゃれの洋装が銀座街頭を濶歩するのも、無理からぬことかも知れない。 然しながら、他の種類の洋装が、既に日本の女の身体にほぼついているのに、この種の洋装のみが、何故うまく着こなせないでいるのであろうか。外でもない、単におしゃれだからである。こうしたおしゃれが身につかないということは、ハイカラなめかしやの悲哀であろうが、この種の悲哀が深いほど益々社会は健康であろう。

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