二つの生活的ルンペン性が見られる

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 東京に於て、新たに、二つの生活的ルンペン性が見られる。 一つは、頸白粉の若い女たちである。旧市域の辺境あたりに多い。恐らくは、カフェーやバーなどの後を追って著しく殖えた小さな特殊飲食店、小料理屋とかおでん屋とかの女中たちでもあろうか。平素どんな生活をしているのか、私は知らない。 彼女等は、朝から、顔は素肌で、清い血色の少い或は濁った血色の多い皮膚をむきだしにしているが、耳から※[#「臣+頁」、第4水準2-92-25]へかけた一線より下の頸筋には、真白に白粉をぬりたてている。前夜の白粉をそこだけ洗い残しているのであろう。襟白粉ではなくて、全く頸白粉の語がふさわしい。 頸白粉の彼女等には、生活の放逸性さえももはやなく、ただ生活のルンペン性がある。もう彼女等は、普通飲食店の女中は勿論、カフェーやバーの女給をさえも、勤め難い状態に立到ってるがようである。 第二は、草履ばきで、多くは板裏などの草履ばきで、小料理屋やおでん屋などに立現われる、蒼白い若い男たちである。浅草や江東などに多い。 彼等の草履ばきは、昔のいなせな兄い連のそれと異るのは勿論、現代の大工や植木屋など、道具箱をかついでさっさとした足取りのそれとも、全く異るのである。そしてその足先は大抵よごれている。労働の泥ではなく、怠惰の埃をかぶっている。彼等がどういう生活をしているか、私は知らない。彼等は殆んど怒鳴ることなく、喧嘩することは更になく、酔っ払うことも少く、ひそひそと語り、ちびちびと飲んでいる。 その打明話はこんなことに帰着する。――解雇されないからぐずぐず働いてるようなものの、店はいつつぶれるか分りはしない。転業が問題になっているが、自分の転職も、さっぱり見当がつかない。そして、十時に街路は戸が閉り、街灯だけが明々として、電車の走ってるのも淋しく、何だか自分が世の中から取残された感じだ、云々。 商店法に依る十時閉店の街路は、多くの人には生活緊張の感を与えるものであろうが、或る種の人には、世の中から自分だけ取残されたという感を与えるものらしい。否、与えるのではなく、そういう感を受取るものらしい。そして彼等のうちには、おそろしく平凡低調な善良さだけがあり、そこに生活的ルンペン性がひそんでいる。 都市の中心から外れた小料理屋やおでん屋に巣喰ってるところの頸白粉の女や板裏草履の男――而もまだ若いそれらの男女は、何によって救われるのであろうか。

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