東京の目貫の街路

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 東京の目貫の街路で、何かの記念的行進などが行われる際、以前は、どの門口もどの窓も多くひっそりとしていて、静粛に立並んでる姿やひそかに覗いてる顔などしか見られなかった。然るにこの頃では、頗る華かな光景を呈する。銀座通りなどでは、行列に向って、周囲の窓から、ハンカチが打振られ、テープや花が投げられ、歓呼の声が浴せられる。――街路や建物と同様、ひどく欧米風なのである。――これは単なる欧米模倣ではなく、映画をはじめ種々のものから来る文化混和の結果でもあろうか。 地球の表面が急速に短縮されつつある現在、風俗習慣も急速に、世界的混和の方向を取りつつある。東京に於ては既に、世界の如何なる土地の如何なる服装も儀礼も、驚異に価しなくなっている。そればかりか、多くのものを呑みこんでさえいる。――洋食の宴会に於ては、日本服が却って珍らしく目立つほどである。畳の上の座席に於ても、客を招待した当人が床柱を背にして着席するようなことが、やがて起るかも知れない。――若い女の結髪の様式は、服装の如何を問わず、既に世界的水準に従っている。 こういう現状であるから、或る特殊な気運とか必要とかのために、特定の服装や作法を立てることは甚だ容易であると共に、また偏狭な見解を排斥しなければならないだろう。そして肝要なのは、それが日常化されるか否かにある。――市内の防護団の服装は、漸くズボンだけでも日常に多少使用されてることは、或る点までの成功と見てよい。之に反して、国防婦人会の上被と襷とは、失敗と云って差支えない。防空演習の女のモンペイも、考慮すべき点が多いであろう。――イタリーやドイツの団服のことは茲では云わず、満洲の協和会の服装の成功を、考察すべきである。

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 さて、風俗時評其他風俗に関する言説の困難さを、私はつくづく感ずるのである。 風俗は形に現われたものである。思想や感情や生活態度の現象的表現である。だから眼で見て直ちに掴まえられるものではあるが、それが単に一般的なものであるか特殊的なものであるか、つまり、如何なる意味で思惟の対象になるか、それを見分けることが甚だ困難なのである。そしてともすると、現象の批評からふみ出して、文化的な或は社会的な批評の方面へ筆が滑りがちになる。――文化時評とか社会時評とかならば、書くべきことは無数にあるであろう。然し風俗時評となると、現実の現象に制限されて、書くべきことが甚だ乏しくなる。 風俗に関係ありそうな現象で、取上げたいものはいくらもある。例えば、この頃の青年たち、殊に学校卒業間際の学生たち、彼等の会話を聞いていると、日本と満洲と支那とは既に一つの合同地域となっている。その間に何等の境界も存在しない。互に関連をもってるただ一つの広大な職場であり、ただ一つの文化圏内なのである。思想的に、更に感覚的に、無境界な一地域なのである。――そういうところから、如何なる風俗的なものが生れるであろうか。それを考えるのは楽しみである。然しそれはまだ、風俗として取上げるべき何物も持ってはいない。 風俗のことを考える時、右のような事柄に幾つも出逢う。而も風俗のことを余りに考える時、右のような事柄はいつしか忘れられる。これについて警心の要が多い。

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