たゞの人間である

      二

 長期事変に処して国民全体の日常履み行ふべき道は政府の指示督励を俟つまでもなく、国民の常識として当然、知り、かつ守らねばならぬことであるが、それができぬといふところには、たしかにある弱点がひそんでゐるとみて差支ない。もちろん、国民の大多数は聖人でも君子でもない。たゞの人間である。あらゆる弱点をもつてゐるところの人間に過ぎないのであるけれども、一旦事にのぞんで、その弱点を克服できぬやうな人間がさう眼につくほどゐるとすれば、これは国家のために由々しいことである。 前にも云つたやうに、国民が十分に緊張せぬやうな外観を呈してゐるのは、政府当局も口でそれを云ふほどの緊張を見せてをらぬからでもあるが、一つには、現代の日本人は、国民的緊張を日常生活のなかに於て示す形式をもたぬからであつて、例へば興亜奉公日といふやうなものを定めて、お互になんとかなると思ふほど、その表現において貧しく、幼稚で、真髄に徹するところがないからである。国民自身も政府当局もともに銘記すべきことは、かういふ国民的傾向を助成したのは、結局近頃の政治と教育だといふことである。 この点は、国民精神総動員と称する運動の目標が、主として、国民の道徳に向けられてゐる現状と思ひ合せて、私は、こゝで、政府当局及び国民一般の注意を喚起したいと思ふ。

       三

 私は現代の日本人が、その精神力に於て、殊にその徳性に於て、他の如何なる時代よりも勝れてゐるとは思はぬ。しかしながら、あらゆる宣伝標語が示すやうな、観念としての道徳の向上振作をもつて、直ちに国民生活の調整と推進とを期することは、およそ当を得ぬと思ふ。 なぜなら、問題の中心はどういふ例を挙げてみてもいゝが、それは殆どすべて、現代日本の特殊な風俗に帰着し、風俗は、それ自身思想の色合と関係なく、また、道徳の上にのみ築かれるものではないからである。極端に云へば、水甕を頭にのせたり、腰に抱へたりすることが、それほどの道徳性をもたぬのと同様である。

— posted by id at 01:15 pm  

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